「内観」とは喜びそのもの

自分を受け入れ、愛するには

まずは、

自分を良く知ることからになる。



「内観」

でも、それはなかなか難しい

という人も多い。




本当に自分を受け入れ、愛する方向へ少しでも向かいたいなら

言葉から変えることが、とても近道になると思う。


まず、「難しい」と言わないこと。


言うと、その通りになっちゃう。


「難しい」=「苦しい」ではない。



自分を良く知り、少しずつでも受け入れ、愛していくことは

そのプロセス自体とても感動するものだと思う。



ダメダメといつもダメ出ししていた自分にOKを徐々に増やしていく過程は

喜びの他 何者でもない。



「喜び」しかない。


エネルギーもダダ漏れしていたものが

ちゃんと、チャージされるようになる。


そう元気がわいてくるの⭐️



誰かから、元気をもらわなくても、こっそり奪わなくても

勝手に元気になっていく。


元気になっていくと、ハッピーが増す⭐️



だから、「難しい」とわざわざ口に出さない。



難しいと感じる人は、
一気に完璧に!をいつも求めてしまうせっかちなとこから来てるかもしれない。



まず小手始めに、そのせっかちな自分勝手な完璧主義に

「OK」ととりあえずしてみよう^^



そして、自分のことについていろいろ「気がつこう」という意思を持ってみる。



そう、少し自分を客観的に観察して


いつもの姿勢・・・あ、こんなに猫背だ・・・

普通にしてるときの呼吸・・・あ、こんなに浅い!っていうか息してない!?

あ、こういうとき 私いつも緊張している・・・嫌いなんだ こういうの私・・・

でも、なぜだろう・・・?いつからだろう・・・?


などなど 無意識を意識してみるとだんだんわかって来ることが出てきます。



たまに、街を歩いてる時、ショーウィンドーや鏡に映った自分を見て

げ!こんなにタルんで・・・しかもぜんぜん笑顔がない!



なんてことありませんか?(あるある^^:)
これこそ無意識を意識させられた瞬間ですね。



口癖なんかも、人からまねされて エーッ!?なんて思うのもそう。



自分で自分のことは、意識しないとなかなか気がつきにくい。



心癖なんかは、人からもわからない。

だから、自分でちょっとずつそこにフォーカスしていくのです。



良い悪い、ジャッジせず そのまま眺め 

へ〜わたしの魂は こういう特徴があるんだね。と傍観者になってみる。



そうすると不思議。意識しだして見えてきたものが

だんだん愛おしくなってくる。



こういう「自分を知ってみようとする愛」があると

結果がどうであれ 驚くような自分がいても 

愛することに繋がってゆく。



そして、それがすすんでゆくと、

「相手をも知ってみようとする愛」へと進化してゆく。




分析とは違う。

分析は良い悪いか、上か下か、敵か身方か、損か得か

判断するようなものだけど、



ただ 知ってみようは 自分への、相手への興味とリスペクトだと思う。




ただ、知ってみようは たとえ最初驚きがあっても

受け止めること前提だから。



最初から 受け入れ 消化してでなくても

まず、受け止められれば

あとは いい形にとろけ、なじんでゆく。




そうこうしていたら、カラダの過緊張もとれ
表情がやわらかくなって

自然といい人間関係になっていく



ああ なんてステキ💗



感謝しろなんて

感謝しなくちゃなんて

つくりもの。



沸き出す感謝や

沸き出す笑顔 

沸き出す愛



そう自然となっていく 内観のプロセスを

どうぞ楽しんでください。



それが世界の平和。



mahalo




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恐怖心と同居する生き方もアリ

久々なブログになってしまいました

^^;今日はOFFです。

 

最近、ロミロミに来られる方が増えてきて うれしく思っています。

 


ブログを全部読んで 初めてだけど思いきって来ました。とか

ゼニスオメガ・ヒーリングってのを受けたくて とか

お友達から聞いて〜 お友達がすすめてくれてずっと気になってて・・・ と

 

 

 

そんな中 立て続けに同じようなお話しを聞くことがあり

今日はそのことについて書いてみます。

 

それは「恐れ」についてです。

 

私、何かわからないけど怖くてしかたないんです・・・

私、怖がり方が半端ないんです・・・

 

人によって様々ですが、

 

 

ある特定のもの 

例えば 泳ぐこと 狭い部屋 雨にぬれる 

話すと恥をかく 話すと人を怒らせる 人に好かれない・・・などだったり

 

 

漠然とした恐怖で、寝てる間もリラックスできない

なぜかわからないけど人と話せない など・・・様々です。

 

 

恐怖って 誰にでも大なり小なりあると思うんですよね。

私の中にももちろんあります〜(ないと思った?! コラーっ 笑)

 

 

恐怖って まだ起こってないことに対しての過剰すぎる気配りだと思うんです。

 

 

現実におこる確率が低いことに対して

過剰に想像力を働かせ、大きく膨らませ、


 

何度も何度もイメージして

その恐怖バイブレーションをシュミレーションして過緊張になり

 

コワイ もうダメ 私!

 

 

と、思考回路も縮んで、笑顔が消えていくんですよね・・・

 

 

だから、今あるものを必死で守ろうと、減らすまいと、

人から侵略されまいとなってしまうわけです。。。

 

 

かなりリアルに何度もイメージして肉体の緊張がともなってくると

その恐怖への願いは叶い 恐れていた結果が手に入ってしまい

 

 

ますますその恐怖を信じる信者となり

生涯それがつきまとうことになるという結果を許可してしまうのです。

 

 

例えば、

私はいつも傷つけられる(傷つける)

人は私からいつも大切なものを奪われる

私は迷惑な存在だ

周りは敵ばかりだ・・・

私は嫌われている

私は最後はいつも捨てられる

私は人の倍働かないと価値がない

幸せになるのが怖い

 

などなど・・・・多すぎて書けませんが

 

恐怖のシナリオを

死ぬまで何度も確認する人生を送りたいでしょうか・・?


 

 

 

 

そもそも、その恐怖はどこから来ているのでしょうか・・・?

 

無意識でわからない・・・というのが ほとんどの人の意見でしょう。

 

 

私も 答えはコレ!っと言えないにしろ

いろんな方のお話の中で感じているものがあります。

 

 

まず、親の影響が大きい ということ。

 

 

親の精神が不安定で、悲観的に心配ばかりしていたり

子育てに過剰な責任感と緊張をもって過干渉であったり

迷惑をかけない立派な子に育てなきゃ と世間の目を気にし過ぎていたり

 

 

あなたも以前は赤ちゃんでちた。

ばぶ〜 まんまーまんまー と言ってたカワイイ赤ちゃんでちた^^

 

純粋無垢な まわりものも全てをスポンジのように吸収して育つ光のような存在。

 

育ててくれた人の良いも悪いも

うれしい かなしい 怖い 悔しい・・・いろんな感情を

全部コピーしたのです。

 

 

そして、育ててくれた人の喜ぶ姿が自分の喜びで

そのようにまねて 今のあなたができあがりました。

 

 

 

だから自分の中の恐怖は 「悪」ではない

 

タダの 学習したこと。

 

「恐怖」があることに罪悪感を感じなくていい。

 

 

自分の親も 

もしかしたら恐怖をたくさん抱えていた一人の人だったのかもしれない。

 

思うように人生をコントロールできず不安でいっぱいだったのかもしれない。

 

 

そんな不完全な一人の人間

でも、その時 その人(親)なりの精一杯で育てていて

 

だれもそれを責めることはできない。

 

 

 

恐怖を全部消そう 自分の中から排除しようと思わなくていいと思う。

 

 

あるね。確かに。

 

あれ?・・・親とそっくりだ。。。とか思っちゃうかもしれない。

 

 

「あるね。」

 

 

と タダ認めるだけで 恐怖という暗闇に光が当たり力は失なわれだす。


 

それ以上恐怖にエネルギーを注がなければ育たない。

 

 

恐怖を全く感じなくなる状態 いわゆる完璧を求めず

 

恐怖、あるよね〜 うんうん

きみもいていいよ。あ、端っこにね。くらいな感じ(笑

 

 

 

この段階を歩んでゆくと

あ〜 あの子供の時の あの些細なことだけど、

怖いのに怖いって言えなかったな〜(周りの空気読むことを親から学んでいたから)

 

友達とのあのやりとりで自分を否定されたと勝手に感じちゃったんだな〜

(自分はダメな子だと親から学んでいたから)

 

 

本当はわかってほしかっただけなのに!

本当はハグしてほしかっただけなのにーーーーー!アーーーーン;:

 

 

こうやって大声出して「その時」泣いてないんです。

 

その時、のみこんじゃって。胸やのどにつまっちゃって。

だから今も 呼吸が浅いのです。からだの緊張がとれないのです。

 

 

今 泣いても 効果的。

どうぞ うちに泣きにきてください(笑

 

 

ぼちぼち話しだし なぜかわからないけど涙が出た後は 自然と笑えるものです。

そして 次、来た時は それがあったことも忘れてますから(驚

 

 

 

 

他に 今世でない過去世からのもあるんじゃないかな。

 

私は人の過去世は読めないです。

 

でも、自分のはいつくか腹に落ちたものがあったので

過去世って本当にあるのかも・・と感じてはいます。


その魂の記憶から 怖いもの 得意なもの等あるでしょう。

(ちなみに私はある時どこかの神聖な岩の前で儀式のようなものをしていたよう)

 

 

 

でも、過去世がわからなくてもいいと思うんです。

 

恐怖って「あるね〜」だけで。

 

 

恐怖も反抗する子のようなもので

あなたはそこにいるのね。いいんだよ今のままで と

認めてほしいだけなんです。

 

 

なんの罪もない。

 

 

そのまま。

あるまま。

 

ありのまま〜の  自分。

 


恐怖心と戦わない

恐怖心を排除しようとがんばらない  ひとまず同居。



そのうち形が変わっていくでしょう。

そして恐怖心とのつき合い方も変わっていくでしょう。


 

mahalo


 

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