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同胞の痛み

いろんな惨事が起きた時

 

辛いこと、ありえない!

と思っていたことが起きた時

 

私たちは つい 

 

どこがいけなかったのだろう・・・

何も悪いことしてないのに どうして・・・

何の天罰だろう・・・

神の怒りか、地球の悲鳴か

 

原因探しをしてしまう。

 

でも、誰にもわかるものではないのだろう

 

ただ 起きるときに起きた。。。

 

 

そこから 多くものもを学ぶしか他になすすべがなく

 

何もできない自分の力のなさ

非力さを 見せつけられる。

 

 

そういう中に抱かれて生きてきたのだ 今までも そしてこれからも。

 

いろんなことが起きて、揺さぶられ

 

何が大切なのか・・・

 

抗うことができない自然に

 

時に  怒り 無情非情 畏敬の念を抱き

 

それでも委ねて生きるしかない

 

 

 

何の抵抗も通用しない

 

何か 巨大という言葉が小さく感じるようなかなわないもの

 

 

 

 

他人に起こったことは、もはや対岸の火事 ではないと以前より感じている人も多いと思う

 

「同族」の痛み

 

「同胞」の痛み

 

を ひしひしとテレパシーのように受け取っている部分がある。

 

痛みを自動的にシェアして分散 軽くなるように働いている部分が自分の何処かにある。

 

その痛みを無視しないでいいと思う。

 

痛みを感じているのだから

 

痛みとともに 生きる。

 

 

感じて そのエネルギーを愛に変換する。

 

誰も悪くないから

 

ただ 考えさせられる部分をもっと調和する形に進化させる力が人にはある。

 

 

皆さんに 愛と光を送ります。

 

 

mahalo