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うらやましい、ねたみ、嫉妬、怒り、度の過ぎた忍耐

涙を流そう 

 

大人になっても泣いてもいい。

 

男だって泣いていい。

   

古い概念が変わると 涙が出ることがある

 

古い概念が崩壊し、本来の自分の生き方に近づいた時

涙が自然と出る。

 

この時、その涙には崩壊した概念を作っていた化学物質が含まれていて それが流れ出るらしい。

 

泣くことで 癒されるのだ。

 

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心と体がつながっていることを

頭ではわかっていても

 

なかなかその繋がりが腹でわかっている人は少ないように思える。

 

 

それは物質でしか見ない今の医学の影響も大きいと言える。

 

ほとんどの病気は 原因不明だと

 

対処ばかりをフォーカスさせるが 

原因がわからないものをどう対処するの? と言いたい

 

 

例えを出して考えてみる。

 

例えば 胆石ができたとしたら 物理的現象だけをみるのが病院

(病院全否定派ではありません。あくまで一般論)

 

 

激痛だし、ひどい時には黄疸が出て危険だし

散らすか 摘出するか 対処にしか医者も患者も意識がいかない。

 

 

それはわかる。

 

そこから

ひとまず痛みが治まって肉体の傷が癒えてきたら

あまり原因なんて考えない。

 

それより、油物の制限があるから

ちょっと食事は変えなきゃとか、

でももう取ったから大丈夫だとか

でも検査に来ないといけないとか

 

やはり次の対処に思考がいく。

 

 

なぜ 胆嚢に石ができたのか・・・

Drに聞いたとしても

原因不明 または

ストレスでしょう

老化でしょう

体質です

遺伝でしょう

体重減らしてください

食事を改善してください

 

てな感じじゃない?

 

 

何らか感情が関係してるなんて

誰も教えてくれなかった。今も教えてくれない。

 

 

と言うより

概念が感情を生んで 化学物質を作り出して 溜まって固まった。

なんて 誰も信じない^^:

 

 

心理的な観点からみると胆石は

強い怒り、恨み、嫉妬、ねたみ

度の過ぎた忍耐 など

 

 

妬み(ねたみ)って「石」という字が入るよね?

嫉妬も。

偶然とは思えないな。

 

あの人うらやましい・・・・・って重いね^^;

 

 

 

肝臓にも怒りがたまるが

 

胆嚢にはもっとジトッとした念の強い粘着質な

長い年月経った上記のような感情が濃縮され溜まるようだ。

 

右あばらの下に圧があり指が入らない。

 

波動的に観察してもそんな感じがする。

スティッキーなのだ。

 

上記のような感情が多いと、それと同調するような

重〜い系の食べ物や酒を好むようになっていたりするはず。

(胆石に限らず、感情を貯めている人はこのような傾向にある)

 

 

上記のような感情が、

あなたの反射(繰り返すパターン)を起こし、いつも場を重くしている。

 

しかし、

それが本人は、日常化していて 

自分ではその感情に辛いけど慣れて馴染んでしまっている

 

そしてそれを繰り返すことで増幅、強化させていることを知らない。

 

 

度の過ぎた忍耐や、

ねたみやっかむを ウン十年も「訓練」していることになる。

 

その間に 石は徐々に結晶化され大きくなり

と痛みとともに存在を訴えてくる。

 

いま、急に痛くなったとしても、それは長年蓄積されたものなのだ。

 

 

病になって初めて自分のことを見つめて

 

無理をさせてたことに気が付いたり

生き方を改める時がきていることがわかる。

 

 

その時 涙が出たらそれは止めないで 泣いていいんだよ。

 

泣くことで

方向を変える決意が自然にできることもある。

 

涙とともに出てゆく化学物質とはいわゆるホルモンだったりするので

またたく間に心身に変化が起きる。だから

 

スッキリした!!! となる。

 

 

体が訴えて来るものは胆石に限らない。

その人の個性でそれぞれ違う。

 

 

でも何らか 症状や病はメッセージであることは間違いないね。

 

 

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自分の中にある またはたびたび起こってくる悶々としたものの正体

 

病や歪みの元、災いの元は

 

 

怒り、罪悪感、卑屈、劣等感、不満、勝敗に固執する心、

無価値観、恐れ、被害者意識など

 

自分の中にあっても阻害することなくまずは、認識しよう。

「あるな。」と素直に 分かるだけでいい。

 

 

これが 大切な第一ステップ!

 

 

だって、これ以上

 

そんな自分を嫌い、巧みに隠しても 巧みにごまかしても

もっとそれを増幅することになるだけ

 

 

それより、自分を嫌う堂々巡りから一歩引いて

感情に惑わされてた部分と 「識別」してみるといいかもしれない。

 

 

そうすると新しいものが見えて来るかもしれない。

 

 

こんな感じに

 

○怒りが湧いてくるというのは?・・・・

 

自分が大切にされなかった気がして怒ってたんだね(認識)

ということは、私は大切にされたいんだな~ 

そういう心があるんだな 私の中に(認識)

 

人に大切にされることばかりを期待してきたけど

(自分自身が自分を大切にできてないから)

そうじゃなくて、

そっか、これからは自分で自分を大切にしよう!

まず自分のことだ。

 

 

 

○人と比べて嫉妬して卑屈になるのは・・・?

 

自分はどこか人より劣っているという心がいつもあるんだな(認識)

比較して疲れて エネルギーを消耗していたんだな。。。

うらやましい・・・ばかりが頭を占領していたんだ

まずはこれを受け止めよう(ジャッジなしで)

ということは、

 

私の中に輝きたいという気持ちがあったり

でも、輝いてはいけないとか 何かあるんだな(認識)

そこを認め 今からはそれを許していこう。

 

 

 

○度の過ぎた忍耐・・・? 

 

なんかある気がする(だから病気になったんだし)

当たり前になってるだけで、しんどいっちゃしんどいもんね。。。

ちょっと自分の当たり前を分析してみよう。

はっ!

これぐらいヤレよ!って 自分に叱咤ばかりしてる気がする。 

 

誰かに認めて欲しくてやってるんだ。。。。(認識)

人からどう思われるかばかり 外の目ばかり気になってたんだ。

不安だったから、怖かったからもっとやらなきゃ

 

そう思ってたから、今

もっと、不安で もっと恐怖が叶ったんだ(認識)

もう我慢やめよう。自分の声を聞いていたわろう。

 

 

など。

 

 

認識すると、その暗闇にスポットライトが当たるので

闇は力をだんだん失う方向に行く。

 

 

本当の自分の訴えに気がつくためのシナリオである病気や症状、事故。

 

 

一見ネガティブな出来事だけど

 

それが 何を教えようとしているのか?

 

そこにフォーカスしていくことで「しか」発見できないことがある。

それが 病気などから受け取る 大きなギフトだと思う。

 

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ううう痛い痛い・・・肉体的痛み 

 

くそー・・・・・苦痛 

 

こわいこわい・・・・恐怖

 

 

日々の中でこれ強いと

そんな自分のことを一歩引いてなかなかみることができない

 

 

だから、肉体的痛みがある場合は医療処置も薬も大切。

 

 

誰かに苦痛を強いられて居る環境にいるのなら

物理的に離れるのも大事。たとえ親でも。

 

恐怖でそこから離れられない時も

恐怖がなかったらどうしたいか?を考えたら

自分の本質に近いものが見えてくる。

 

 

 

まずは巻き込まれている状態から

解放してあげてほしい。

 

あなたはそんなに拘束されて生きなくてもいいのだよ。

 

他の道もあってもいいのだよ。

 

望むと見えて来るし

望まないと 無い!としか思えないんだ。

 

 

人は

自分が信じているものをみている。。。

 

 

 

みんな まるで驚くほどみている世界が違う。

 

 

長くなっちまったぜ。。。

 

 

mahalo