ゆるしても 愛せない・・・なら

ゆるしても愛さなくてもいい

 

量子場調整で

トラウマリリースをしても

 

何かを

 

誰かを

 

許したとしても

 

許したとしても

必ずしも愛さなくてもいい

 

許しても愛せない

 

そんな気持ちがあっても

そういう場合は それでもいいんじゃないかな

 

 

許してもいつもいっしょにいたいと思わない

それでもいいじゃない

 

無理しなくていい

 

 

 

ダライラマも

 

中国とは取引はするが、いっしょにお茶は飲みたくない  

とある本に書いてあって

 

笑った。

 

 

 

許す=愛する  でなくてもいい

 

許したなら愛せるはず

 

そういう思い込みが内側にあるなら

 

自分を第一に 

優先順位一番で

自分を愛してこなかったことを意味する

 

 

自分より親を愛し期待に応えなければならない

自分より子供を夫を愛し 世話をしなくてはならない

自分の周りの人を嫌わず、自分を殺してでも嫌われないようにしなくてはならない

 

自分より誰かを優先し 愛し 世話をし

気を常に配り 気にしてあげなきゃいけないという

 

そんなしんどさを感じる

 

 

だから一人が気楽でいいと言う大人が多いのかもしれない

 

心は寂しいが

誰かといてしんどいよりマシだ と。

 

 

 

いつも「じゃあ私は?私を誰が 何が満たしてくれるの・・・?」

 

ずっと無意識からこんな叫びが聞こえる気がしている。

 

自分が自分を無視し続けている

 

 

ある意味本人が気がついてなく だから余計に本人は辛いのだ

 

 

 

でも そもそも 本来

「自分以上に誰かを愛さなくてもいい」 と、気がついたなら

 

ちょっとエネルギーがでるんじゃないかな・・・

 

自分の内側に 湧き出る泉がある 

 

ここをお掃除して、たっぷり自分が自分を満たしてから

 

あふれ出たものを周りの人にシェアしよう!

 

だから 早く自分にフォーカスしてあげてほしい。

まずは あふれ出るまで自分を満たしてもいいんだ と

知ることが大切かもしれないね。

 

 

 

自分が満ちたら

「許す」 は 自然と「水に流す」 に形を変えて 

荒ぶる波は消え

思い出になって

過去のイロイロは経験となって

 

その人を ひとまわり大きく輝かせる。

 

 

許すは まだ 許す側と許される側どちらもがあり

 

許す側が上から見ている状況にある

 

そう自分が被害者で許す側にあるという立場

 

 

自分を最優先に愛し、理解し寄り添うようになると

 

立場も関係なく

そこを観ている自分の観点を越え

水に流すという領域に存在できるようになる

 

 

そこをあえて目指して

誰よりも高次の神のような存在に頑張ってなろうとしなくてもいい。

それは違う。

根本 違う。

スピリチュアルかぶれの競争意識は意味がない^^;

 

 

自分の 無意識とともに意識が沿って生きるようになると

自然とそうなっていく。

 

何も問わない

 

誰も問わない

 

ただそうであった。だけ

 

 

 

全てがそうなるのは不可能でもいい

思うようにはいかないこともこの物理の世界にはたくさんある

 

 

嫌いな人がいてもいい

機嫌の悪い日があってもいい

わがままで

臆病で

依存的で

そんな自分をまだ愛せないけど、ちょっと許したい・・・から始めてもいい

 

 

生きていく上で 少し荷物を降ろして歩こうと決めると

そう言う方向に量子の場は作られてゆき そして導かれる。

 

 

ちょっとずつだけど

ちょうど今の季節のように

寒かったりたまに温かかったり

また寒さがぶり返したり

 

でも、つぼみは膨らみ春が確実に訪れているのもわかる。

 

 

あなたがいくつであれ

今からの 人生を自分自身のために

 

顔をあげて 表現を自由に解放し

 

呼吸も健やかに生きていけますように

 

 

 

mahalo