気がつけば、そこに愛

愛情を注いでくれるのは

無償の愛を教えてくれるのは、


親。とくに母親。


確かに、母親の存在は

想像を超えるくらい大きい。



これは全人類に言えることだと思う。


でも、世の中には母親といっしょに過ごせない子供もいる。


祖父母や育ててくれる誰かが近くにいても、

ママがいない寂しさ。



または、親といたとしても 親自身が 心も経済的にも余裕がなかったり


しっかりした 人に迷惑をかけない子育てをしなきゃなど

◯◯しなきゃしなきゃしなきゃ・・・に捕われ過ぎ

家族と言う形はあっても 寂しい思いをする子供もいる。



いろんなパターンがありすぎて

何が正しくて 何が間違いかなんて言えない。


世界にはもっと驚くような環境で生まれ育つ子供たちも多い。




何が言いたいかと言うと、


愛を教えてくれるのは、親だけではないよということ。



無償で、丸ごと どんな自分も

120%愛してほしい!!!なんて期待しなければ


愛を感じることはできると思う。



無償で、丸ごと どんな自分も

120%愛してほしいと期待するのはエゴの声。ただの丸投げ。



誰かにそれをやってもらう そんな人を探すのもいいけど



あれ?

はたして 自分が自分のことを 

無償で、丸ごと どんな自分も120%愛し、信用しているか・・・?

疑問をもってみるといい。



まず、自分ができてなくて相手にしろというのは酷だとわかる。



丸投げしたくなるのは、

いつもどこかで罪悪感を抱えてて、

感情を抑圧してて、 苦しいから誰かに何とかしてもらいたくなっているだけ。



溺れかかってるから全体重でよっかかりたい。休みたい。



そして、相手に全体重でよっかかれないとわかると 怒る。



もし、あなたの親が 


無償で、丸ごと どんな自分も
120%愛することを実践している人なら、見本があるなら

あなたは自分を愛し、人のことも認めることができるだろう。



でも もし、あなたがそれがわからなくて溺れかかっているのなら


無償で、丸ごと どんな自分も

120%愛することを 少しずつでもいい 挑戦してみてほしいのです。


そう最初は 10%づつ増す・・・くらいからでも。




そういう風に 少しづつでも意識をしだしたら


身近な所に、ちっちゃなものだけど

愛がいっぱいあるのを感じられるようになるだろう。



自然の中の恵みも「自分にも」注がれていることを。


花を見ることができたなら それはあなたに向かっても咲いていること。

鳥の声が聞こえたなら、それはあなたに向かっても歌ってくれているということ。



褒めてくれる友達がいた。のに その言葉を受け取ってないだけだったり、



何も言わずに話を聞いてくれる人の心に

無償の愛があると気がつけないだけだったり、



冷蔵庫をみれば今日食べる物があり


家族が今日生きていていて



屋根がある暖かい布団で眠れ



水洗トイレがあり

ウォシュレットがお尻を洗ってくれ




不平不満を考える 無駄な時間も与えてもらっている。




愛がない、幸せがない のではなくて


それを感じる心が自分の中から無くなっていただけ。



物があるから幸せでもない。

物があり過ぎて 不足ばかりにフォーカスする不自然な心になっているだけ。



不足して、欠けている物ばかりを探す目に、世の中全体がなっているだけ。



世間一般の風といっしょに不足や心配を感じて生きるもよし


新しい視点 「自分がどれだけ恵まれて守られてきたか」

の新しい脳の回路を発達させ生きるもよし



どちらの自由もある。



自分が思ってた形じゃないにしろ 

愛がちらばってどこにでもあるとわかれば 受け取ればいいね。


ああ ありがとう と。


あなたが愛を感じ 幸せを感じだせば

そういう人たちの輪ができる。



そのなかにパートナーになる人も現れるかもしれないし

そのなかに心からの友人がいるかもしれない。


新しい道へ進むヒントもあるかもしれない。



不幸そうにしてるのは、頑張ってるアピールは何のためだろう?

「私ってかわいそうなの」をまとっているのは

何のためなんだろう?



素直になってもいいのに。今すぐ^^



胸に手を当てると、シンプルな心持ちもすぐそこにある。


桜をみながらでも自分とラフにお話ししてみてください。


自分を大切にすることを通じて 人も大切にできるから。



mahalo